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大工職人とは江戸時代の花形三種
1400年もの歴史のある手仕事をする職人・それが「大工」です。



大工のことを少しでも身近に感じていただけたらとこのページを設けました。
興味を持っていただけたら幸いです。


職人の三大花形

大工が誕生したといわれているのは古く遡ること飛鳥時代。今から約1400年も前の話です。
江戸時代には華の三職の一つと言われ大変人気の職業でした。
花形と呼ばれる理由は一説によると「大工」「左官」「鳶(火消し)」は粋でいなせな仕事をしていたことからそう呼ばれていました。


8年間もの試用期間

小田原市HIRO工務店|大工の歴史 大工職人になるには早いと13歳遅くても10代半ば頃から弟子入りし、1.2年は雑用だったそうです。
なにかやらかしたら飯抜きで、二十歳頃になると祭りの時期にやっと親方から小遣いがもらえる。
8年くらいは今でいうと使用期間。大事な命を預かる仕事だからこその下積みだったのかもしれません。それほどの技術が必要だったことも考えられます。当時はこの8年でやっと半人前。と言われていたことからも厳しい世界だったことが分かります。

朝は掃除、飯炊きから始まり、夕方になれば、風呂焚き、飯炊きとこきを使われたといいます。早ければ一年、一般的には二年間は、こういった下働きが続きます。その後、親方の許しを得て、弁当を持参し仕事場に出かけて行くのですが、そこでも道具の名前を教わる程度で、仕事の内容といえば木くず拾いが主な仕事でした。


人気の職業だったことから弟子入りの人数は多かったそうですが10年も経たないうちに半分以上がその厳しさから続かなかったそうです。これは今と変わりないのかもしれません

この厳しい修行を終えて大工になるという事こそ、大工の「誇り」となっていったのです。

給料は庶民の2倍

小田原市HIRO工務店|大工の歴史

一般の人が300文だったと言われていた時代です。当時の大工といえば、花形と呼ばれるだけあって、日当も550文だったとか。

一日の労働時間が大体4時間だったと言われていますから、とても高収入になります。丸一日働いたら給料も倍貰えたといいます。
江戸の大工は「夜通しの銭はもたねぇ」と納得の話です。今では考えられないことですが、当時は至る所で火事があり、それも大工の需要が多くあり、庶民としては地位があった理由なのかもしれません

8年もの間無給で働く下積み時代を経験して一人前の大工になっていく。今思えば親方が10年で一人前とよく言っていました。私自身10年経ってようやく親方の真意が分かるようになりました。

ですがもちろん今でもまだ、日々勉強の毎日です。

現在の大工職人事情



現在では、手刻み(職人の手による加工)も、機械の充実により少なくなってきました。
プレカット(機械の加工)での施行も9割とも言われています。
これにより、納期の短縮や、予算の縮小があり、消費者や私たち大工にとってもいい面が増えました。
しかし、それと同時に
昔ながらの技術のもった大工職人としての腕が試されているように感じます。

今では木組みや、伝統木造建築(伝統工法)などの施行も少なくなってきました。
当社でも納期やお施主様のご要望でプレカットを使う機会が増えているのが実情です。
そんな時も私達は、大工職人としてあえてひと手間、手仕事や組み方を変えています。手を加えることが職人としての「誇り」でありお施主様への「感謝」の証です。

今でも日々、先人たちの大工職人としての「誇り」や「粋」の部分を大切に、次の職人の世代へ残していける方法を模索しています。





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